ダッハウ強制収容所は1933年、ナチスドイツ初の収容所として、第一次世界大戦時に火薬工場として使われていた廃工場を利用して建設されました。
合計で世界30以上の国々から20万人以上が収容され、少なくとも4万人以上が亡くなったといわれています。
このダッハウ強制収容所は、のちに各地で創設された多くの収容所のモデルとなり、あのアウシュビッツ強制収容所もダッハウをもとにして作られほどでした。
現在その跡地は一般公開されていますので、自由に見学することができます。
ナチスドイツの蛮行の歴史
ミュンヘン中央駅からSバーンで20分ほど、そしてダッハウ駅からバスに乗ってKZ-Gedenkstätte で降り、歩いて1分ほどのところにある広大な敷地に「ダッハウ強制収容所」の跡地があります。
私が訪れたとき、ビジターセンターには観光客のほかに校外学習と思われる学生さんたちの姿がありました。
案内板を見ながら進んでいくと、当時の収容所の入り口にたどり着きます。
▼ 入り口の上に監視窓が見えます。
▼ 門には、「ARBEIT MACHT FREI /労働が自由をもたらす」の文字があります。
▼ 門をくぐると、右手にはかつて親衛隊(SS)の管理棟だった建物があり、博物館になっています。
記念館の近くにあった案内板には「12歳以下のお子様にはお勧めしません」の文字がありました。
大人であっても目を背けたくなる展示物が多いからです。
▼ 左手には、収容されていた人々によって植えられたというポプラ並木があります。
当時はこの奥まで17棟のバラックが2列(計34棟)ありましたが、現在はコンクリートの土台を残すのみで、手前の2棟はのちに復元されたものです。
バラックの内部は見学可能で、復元されたベッドやトイレがあります。
日々の過酷な重労働に加え、慢性的な食料不足、人間としての尊厳を踏みにじる不衛生な環境により、収容者たちは次々に衰弱し、チフスが蔓延していきました。
冬は簡素な建物の隙間から常に冷たい風が吹き込み、定員の10倍もの人々が詰め込まれていたため、ベッドも毛布も十分ではありませんでした。
▼ 中央の点呼場では、朝と夕、雨であろうと雪であろうと、約1時間にわたる収容者たちの点呼が行われました。
時には亡くなった人でさえも点呼場に連れてこられ、例えそばで人が倒れたとしても助けることは許されず、点呼中は決して動いてはいけませんでした。
▼ 骨と皮だけになった人々の写真。
脱走を図った者は直ちに射殺されていましたが、収容所内での生活に耐えられず、死を選ぶために敢えて禁止エリアに立ち入る人も多かったといいます。
▼ 反抗したりした者には、激しい鞭打ちや、鎖による吊るし上げなど、容赦ない制裁が加えられました。
鎖で腕を後ろ手に縛り、そのまま柱などに2時間も吊るされるので、腕が不自然にねじれた状態で全体重がかかり、想像を絶する苦痛を伴います。
いかに人間扱いされていなかったかと思うと言葉になりません。
▼ 収容されていた人々のパスポートなど。
▼ 今回の見学で最も印象に残った写真。
政治学者 ユーゲン・コゴンの言葉
(ドイツ語)
Eugen Kogon
Dachau—Die Bedeutung dieses Namens ist aus der deutschen Geschichte nicht auszulöschen.
Dachau stehe für alle Konzentrationslager, die Nationalsozialisten in ihrem Herrschaftsbereich errichtet haben.
(英語)
Dachau—the significance of this name will never be erased from German history.
It stands for all concentration camps which the Nazis established in their territory.
和訳:ダッハウ。この名の重みはドイツ史から決して消えることはないだろう。ダッハウは、ナチスの支配下に設けた全ての強制収容所の象徴である。
人体実験
1939年に親衛隊に配属され権力を手にした医師、Sigmund Rascher ジクムント・ラッシャーのための施設がこのダッハウ強制収容所内に作られました。
人がどれほどの低気圧に耐えられるかどうかを調べる「超高度実験」、人体を極限まで冷却し、蘇生する温度や時間、方法などを検証する「冷却実験」、食べ物を与えずに海水だけを飲ませる「海水飲用実験」など、聞いているだけでおぞましい人体実験が実際に行われ、多くの人々が亡くなりました。
展示室には、人体実験の犠牲になった男性の写真もあり、人間はここまで残酷になれるものなのかということを思い知らされます。
科学と戦争
科学が発達すると武器が進化し、そして軍事産業が潤います。
本来は人々の生活を豊かにするための科学技術のはずが、新たな戦争が生まれることに繋がってしまうのはとても皮肉なものです。
Ich bin nicht sicher, mit welchen… Ich bin nicht sicher, mit welchen Waffen der dritte Weltkrieg ausgetragen wird, aber im vierten Weltkrieg werden sie mit Stöcken und Steinen kämpfen.
Albert Einstein − アインシュタイン
和訳:第三次世界大戦でどんな武器が使われるのか、私には分からない。しかし第四次世界大戦では、人類は石と棍棒で戦うだろう。
もしも次に第三次世界大戦が起こったとき、そこで使われる武器のあまりの威力は、人類を滅亡に導いてしまうのではないか、とアインシュタインは予言しています。
最後に
ダッハウ強制収容所跡地は、内容が内容だけに積極的にオススメするような場所ではありませんが、こういった負の遺産が風化することがないように、後世に遺されていくことはとても大切なことだと思います。
ミュンヘンからは電車とバスを含めて30分程度で行けますので、ご興味のある方は是非一度足を運んでみてください。
▼ KZ-Gedenkstätte ダッハウ強制収容所跡地の公式サイト
https://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/en/