
ロマンティック街道の北の起点、魅惑の中世都市「ヴュルツブルク」。
マイン川を境に東と西に分かれており、世界遺産のレジデンツ、マリエンカペレや聖キリアン大聖堂などの教会、そして歴代司教の権力の象徴「マリエンベルク要塞」などの見どころがたくさんあります。
ヴュルツブルクの名が初めて文献に登場したのは704年のことで、紀元前1000年頃にはマイン川沿いの丘にケルト人が砦を築いていたとされています。
7世紀に、アイルランド人宣教師のキリアンがこの街を訪れて布教活動を始めますが、689年に従者とともに殉教し、キリアンはこの街の守護聖人となりました。
8世紀には聖ボニファティウスによって司教座が置かれ、政治的にも権力を持った司教が領主となって統治し、ヴュルツブルクは交通や商業の要所として発展していきます。
宗教改革の時代に突入し、ドイツ農民戦争や三十年戦争、さらに第二次世界大戦などで街は何度も壊滅的なダメージを受けてきましたが、多くの歴史的建造物は見事に再建され、当時の姿を取り戻しています。
そしてフランケン地方の中心都市としてワインの生産が盛んで、ぶどう畑と美しい街並みはまるで絵画のよう。
街歩き
旧市街と聖キリアン大聖堂をつなぐ Domstraße ドーム通りです。

▼ マルクト広場から南へ延びる、Schustergasse シュスターガッセです。

▼ ドーム通りからアルテ・マイン橋へ向かう途中には市庁舎があります。休日、この周辺はかなり観光客が多いため、なかなか橋を渡れないこともあります(笑)

マルクト広場
ドイツではお馴染みの「マルクト広場」は、たいてい市庁舎や教会に面し、街の中心であり観光の拠点でもあります。
▼ 左はマリエンカペレ(マリアの礼拝堂)、右の黄色い建物はファルケンハウス(鷹の館)で、華麗なロココ様式の装飾が特徴的です。一階には観光案内所が入っています。

▼ この日はたくさんの屋台が出ていて、多くの人で賑わっていました。


ノイミュンスター / Neumünster

かつて聖キリアンが殉教したとされる場所に11世紀にロマネスク様式で建てられました。
バロック様式の豪華なファサードは、18世紀に完成。
▼ 内装は真っ白で明るく、神聖な雰囲気です。

▼ 祭壇には、「聖キリアンと2人の司祭の像」があります。上半身のみの木像で、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品のレプリカです。

▼ 丸天井の美しいフレスコ画が目を引きます。

▼ ティルマン・リーメンシュナイダー作、両腕を胸のしたで組むような姿をした、大変珍しい十字架のキリスト像があります。

聖キリアン大聖堂
もともとは11世紀から12世紀にかけて建てられた、ドイツのロマネスク様式の教会としては4番目に大きい大聖堂で、第二次世界大戦で被害を受けましたが22年の歳月をかけて当時の姿を取り戻しました。


マリエンカペレ
マルクト広場でも一際目立つ、朱色と白が印象的な礼拝堂です。身廊と側廊がほぼ同じ高さの「ホール式」教会建築だそうです。

▼ 南側の入り口にはティルマン・リーメンシュナイダー作のアダムとイヴの彫刻のレプリカがあり、オリジナルはマリエンベルク要塞の中にある「マインフランケン博物館」に展示されています。


マリエンベルク要塞
マイン川を見下ろす小高い丘の上に、歴代の大司教の居城兼要塞となっていたマリエンベルク要塞は、13世紀中頃に、もともとあったマリエン礼拝堂を囲むように築かれたものです。
▼ マリエンベルク要塞についてはこちら
ヴュルツブルクにゆかりのあるシーボルト

Philipp Franz von Siebold / フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)
鎖国時代の出島のオランダ商館医だった人物で、オランダに帰国する直前に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかった「シーボルト事件」でも知られています。
シーボルトの孫娘であった楠本 高子さん(1852〜1938)は、「銀河鉄道999」のメーテルのモデルといわれていますが、作者である松本零士氏が、彼女の美しい写真を見て「自分が思い描いていた女性だ」と衝撃を受けたのだそうです。
最後に
ティルマン・リーメンシュナイダーについては、クレクリンゲンのヘルゴット教会」のページでもご紹介しておりますので、ご興味のある方は是非ご覧になってください。




